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大邱在住の岡田卓己です。
釜山と対馬のイベントについて報告します。
10月20日、私は仕事の関係で夜遅く釜山へ駆けつけましたが、皆は12時ころに釜山駅前の時計塔のところに集合でした。参加者は、Walk9/韓国巡礼の方々が15名くらい、広島で原水爆禁止運動をされている吉岡イツコさん、そして京畿市民社会フォーラムの鄭銀子(チョン・ウンジャ)さん、そして釜山・民主公園の皆さまが案内してくださいました。
まず、チャガルチ市場で昼食、それから国際市場へ、そして釜山港国内ターミナル前に2005年に建てられた、「浮島丸爆沈事件犠牲者追慕記念碑」へ。その後、白山記念館へ。夕方、民主公園へ行って公園の説明、夕食。そこへ、李大洙(イ・デス)牧師も合流しました。
釜山・馬山民衆抗争30周年なので、交流会も盛り上がったようです。Walk9の宿舎付近まで、民主公園の方々や李牧師、鄭さん、吉岡さんも行って、2次会。私が夜12時頃に、釜山に到着したときの電話連絡した時にも、かなり盛り上がっている声が聞こえました。私が、旅館を確保して釜山駅前のポジャンマッチャ(屋台)で皆を待っていると、民主公園の方々や李・鄭・吉岡さんたちも到着、さらに夜2時過ぎまでポジャンマッチャで「交流」でした。
10月21日(水)対馬へ出発
朝9時ころ、国際フェリーターミナルへ到着。
Walk9が9名、韓国側5名、吉岡、岡田の総勢16名。
釜山から対馬の北端までは約50Km、10時10分に出港して、11時30分前には比田勝港へ到着しました。そこへ、金稔万さん、広島原水協の松本・峠崎さんたちが、マイクロバスをチャーターして合流してくれました。
昼食はチャンポン、そして、マイクロバスに乗って韓国展望台、和多都美神社と烏帽子岳と急いで回ったのですが、最初の目的地である根緒(ねお)には大遅刻。根緒の浜辺には、元対馬新聞社の阿比留
繁蔵さま(済州4.3事件の頃、対馬に漂着した遺体を目撃されています)、読売新聞対馬支局の島居 義人さまが待っておられました。そして、ご体調がどうか心配していたのですが、60年以上にわたって「韓国・朝鮮人親子」と思われる2人を供養してこられた、小島 静恵さま、武夫さまもお越しくださり、「朴 南?=韓国さん」のお墓へ。
戦後の混乱期、日本から朝鮮半島へ、また朝鮮半島から日本へ、民間船をチャーターして渡ろうとしながら、途中で遭難された方々はとても多いだろうこと。そして、見も知らないその方たちを供養してこられた、小島
静恵おばあさんとそのご家族の中に、対馬の方々の暖かい心を感じました。私たちは、「韓国さん」のお墓に献花し、マッコリを捧げて追悼し、静恵おばあさんや武夫さまの話を聞きました。
2時半予定の、厳原到着は4時頃、対馬市交流センターでのセミナーは大幅に遅れて開催。講師の大森先生に連絡がつかないところ、これまでの準備にも協力してくださった、郷土居酒屋「どげぇ」の鍵本さまが連絡をとってくれました。大森先生の講演は、朝鮮通信使の歴史、特に朝鮮王朝と徳川幕府の間に入った対馬藩の苦労、国書偽造問題などについて詳しく説明してくださいました。その後は、金稔万さんのビデオ。小島
静恵さんの取材ビデオや何故対馬に韓国から漂流遺体が多数流されて来たのかを済州での取材ビデオも含め編集したものを見せてくれました。
夕食の後は、郷土居酒屋「どげぇ」での交流会。ここは、厳原の主要人士も集まるところですが、とても安い。韓国の方々とWalk9の方々との大交流会。Walk9の櫛田
寒平さんのギターに合わせて、韓国の歌、日本の歌などの大合唱会。この光景を見て、「どげぇ」のマスターでアリラン祭や朝鮮通信使行列振興会の国分さまも、平和の旅や日本と韓国の100年ネットがやろうとしていることを理解してくださいました。
10月22日(木)
この日は、午前10時から、太平寺で韓国人犠牲者の慰霊・追悼式。阿比留繁蔵さま、島井義人さまも来られ、ご住職の宮川長己さまもしっかり準備してくださっていました。李牧師は、「こんなに遅く来ることになって、大変申し訳ありません」と挨拶。「せめて臭いだけでも味わってもらいたい」と、韓国のマッコリをお墓の周りにまきました。韓国式の三拝もして、供養しました。
読売新聞社の島井さまは、この追悼式を熱心に取材されました。そして、「私も対馬に於ける『韓国併合』100年の歴史の記事を連載で書こうと思います。また、私が調べたところ、済州4.3事件や朝鮮戦争時の漂流遺体は確認できるだけでも280体、実際はこれよりももっと多いでしょう。このことをしっかり知らせる供養塔を、対馬、韓国(特に釜山と済州)、日本の方々との協力で作りたい。そのことを、一緒に行いませんか」と熱い思いを伝えてくれました。
そして、私たちが対馬を離れて博多へ向かうとき、「どげぇ」の鍵本さまが波止場からずっと手を振って私たちを送ってくださるのを見たときには、とても感動しました。これまでも、ずっと私たちの調査や平和の旅の準備を手伝ってくださったことに感謝しているのに、ここまでしてくださるとは。
今回の対馬の旅は、漂流者のこと、遺骨のことが中心になっていましたが、これからは対馬と韓国の交流の幅をもっと広げ、青少年のキャンプなどを対馬で開く、対馬の方を釜山にお呼びして交流するなど、人と人とのつながりを広く深く持って行くことが、相互の理解に結実すると思います。
私のスローガンは「対馬の心を、日本へ、韓国へ」です。
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